私の 意見、考察


気づいたこと、常々考えていること、など、思いつくたびに記してみます。 運転中、仕事中にいろいろな事に気づきますが、さて記録しておこうという段階になると結構忘れているものです。 チャンスがある度に標題だけでも書き込みます。 中と半端な部分がありますが、お許しください。


日 付
2001年
9月28日
  • ヨーロッパを旅行してきて
     大急ぎの旅行でした。たった1週間ほど。 スェーデン、スイス、ドイツ、オーストリア、フランスを廻りました。 スェーデン以外ではレンタカーを使い自分で運転して移動。 スェーデンでは息子の車で移動しました。
     スェーデンは運行中は常時前照灯点灯が義務付けられている国。 晴れでも前照灯をつけて走っています。自車の存在を他車に知らしめるためです。

    ドイツでは一部法規が変更になっていました。"ヨーロッパの交通法規"のページに追加してあります。 全般的に街中での運転は非常に丁寧。 郊外では状況や技量や車の性能に応じて速度を出せるようになっています。
    信号遵守などは全ての運転者が模範的と言えるほどです。 信号が赤から緑に変わる前に黄信号を表示して発進の準備ができるようになっています。 それでも誰も緑になるまでは発進しません。 このような成熟した交通社会をどのように作ってゆくかを考えるのが為政者の役目ではないでしょうか。

    速度を落とさせることに躍起になっている(それが安全の素だと思っている)日本とは大きく異なります。 がんじがらめにして安全が確保できるものではありません。

    もう一つ目立った変化(以前ドイツに住んでいた頃と)は ロータリー式交差点が非常に増えていることです。 以前からこの方式はありました。 交差点に外回り式ロータリーを設け、ロータリー内で旋廻している車が常に優先になります。 ロータリーの中の車の進行を妨げないときには外から進入できます。
     このようにしておくと信号は不要になります。 そして、譲るべき車がないのに無駄に赤信号で停止している必要は無くなります。 進行方向がわからないときにはロータリーの中をぐるぐる廻りながら案内標識を確認すればよいのです。

     なぜロータリー式交差点が増えたのかは知りません。
    想像するに、信号での停止を出来るだけ避けて交通の流れを良くすることが目的でしょう。 そしてそれは 発進・停止 を減らして車の寿命を延ばし、燃料消費の減少、ひいては排気ガス排出の減少をもたらし、さらに信号機を節約でき、当然信号機の保守も不要となるからであろうと思います。

     速度を出させないために頻繁に信号で停止するようにするなどという不条理なことを行ってきた(現在はどうかしらないが)日本の行政には是非見習ってもらいたい思考形態だと思います。
10月09日
  • また安全ベルトについて
     しつこいようであるが、受動的安全性のための道具について再び述べる。
    大切な家族に怪我をさせないように・・という愛情からであろう、子供や老人を後部座席に乗せている光景をしばしば見掛ける。 確かに後部座席は助手席と比較すれば多少安全性は高いであろう、特に軽微な事故においてはそうであろうと予測できる。

     しかし、後部座席に乗せて安全ベルトをしている光景はほとんど見掛けない。 安全ベルトを装着しないくらいであれば助手席で安全ベルトを装着したほうが事故時の安全性は格段に高いものと思われる。

     後部座席の方が安全 だから 安全ベルトは使わなくても良い という間違った理解が流布してしまっている。 全ての座席で安全ベルトを使うように論理的な説明を伴った啓蒙が必要である。 『安全ベルトを使いましょう』という看板は見掛けるがこれでは啓蒙にはならない、現状を観察して個々の事例に基づいた啓蒙をする必要がある。

     行政が当てにならないのであれば個人的に周囲の人々を啓蒙する他方法がないはなはだ心寒いことである。
10月06日
  • 再び安全ベルトについて
    10月6日朝、姫路のホテルで見た読売新聞朝刊(13版)によると、『5日午後大阪府高石市の阪神高速湾岸線で観光バス3台が玉突き衝突、遠足帰りの高校生ら44人がけがをした』とのこと。
     記事では生徒の話しとして『ガシャーンと音がして体が前に投げ出され・・・』と記している。 安全ベルトは使用していなかったのであろう。

     交通安全教育は安全教育の時間だけに行なうのであろうか。 こういうことを"おざなりな教育"と言う。 このような機会にシートベルトの着用の必要性を説いて、着用を実行しておけば、44人のほとんどが無傷で済んだことであろう。

     一旦事故となれば、いや急ブレーキでも、観光バスの最後部座席からあの大きなフロントガラスめがけて突っ込んでしまうことを理解しなければいけない。 あのフロントガラスの向こうは6階建てのビルの屋上から地面までの高さ(約80Km/h走行時)なのだ。 何の安全策もなしに25mの高所に平気でいられるものではない、それでも自分の頭であのガラスを突き破って外に投げ出される光景を想像できないのであろうか? 運転手、学校の先生共々考察して自覚する必要がある。
09月26日
  • 秋の交通安全運動に寄せて
    秋の交通安全運動の時期である。 辻々にテントを出して地域の町内会や交通安全協会の腕章をした人々が詰めているのを見掛ける。 しかし、今年は例年になくそのようなテントが少ないようである。 あまりの馬鹿らしさにやめたのかもしれない。そうであれば多少救いである。

    しかし、新聞を見ると あいも変わらず
      「どこどこで有名人を一日署長に迎えて、交通安全キャンペーンを実施」
    とか
      「交通安全パレードをした」
    という記事が載っている。 そのような記事を見ると、有名人を招聘したことに意義があるようである
      「誰々の口利きで実現した」
    というようなことが記事になるのである。

    有名人を呼んできて、あるいはパレードをして交通の安全がより達成されるのであれば一年中パレードをすれば良い。 そんな簡単なことはないはずである。 ここにも論理の欠如、なんとなくよさそうな感じがすることを優先して本質を見極めていない欠陥が明瞭に見えている。
09月26日
  • パトカーの赤色回転灯
    先日運転中にNHKの地方ニュースを聞いていた。
    運転中なのでメモも無い、記憶によることなので詳細には間違いがあるかもしれない。 おおよその内容は次の通りであった。

    「宮城県警は積極的にパトカーの赤色灯を点灯してパトカーの存在を明瞭にして交通安全に役立ててきました。 視覚に訴えるだけでなく音でもパトカーの存在を知ってもらいより一層交通安全を促進しようとの考え、パトカーの音を公募することになりました。 応募資格は特にありません、どなたでも応募できます。 応募された作品は、作曲家、心理学者などの専門家で構成する選考委員会において審査し優秀な作品を選びます。 県警では聞く人の気持ちを和らげるようなメロディーを・・と言っている」

    以前警察関係者から「積極的に赤色回転灯を点灯して安全を呼びかける」という表現を聞いたことがある。 半ばその人個人の不見識からくる表現であろうと思っていた。 しかし、この報道を聞く限り、緊急自動車が緊急を要する事態であることを表示する目的で法律に定められている灯火をむやみに点灯し、それで交通の安全が促進されると思い、それを県警が組織的に行っていることが判明した。 このWebSiteには「狼少年ではいけない」という項目がある。 県警も狼少年の一派だったのである。

    一方「パトカーの存在を知らしめて交通安全に役立てる」という発想はどういうことであろうか? パトカーの存在を知って、その時だけ注意をする運転手に対しては その時だけ効果がある。 しかし、安全とはそのようなものではない。 本質的な啓蒙を怠って「なんとなく効果がありそうな」感じがすることばかり積極的に実施する行政のありかたを改める期は熟しきっている。

    音を使うことに一言
    ただでさえ喧騒の激しい日本の町の中で宮城県警はまたひとつ騒音を増やそうとしているのである。 喧騒に慣れてしまった日本では、救急車のサイレンにも運転者は鈍感になっている。 さらにパトカーが無意味な音を立てて走行して騒音を増やすことに寄与するだけである。 それに加担する音楽家・心理学者の気が知れない。 音楽の原点はは静寂である。 感性のない学者馬鹿が社会を悪くして行くのである。
09月17日
  • 内容の無い講習会よりもテストを
    私は今までに講習会(安全協会等が主催するもの)に出席して実があると感じた経験は一度もない。 かえって、警察などの安全への取組みが的を得ていないことを実感するのみであった。
    ひどい例では 「安全キャンペーンのアドバルーンを上げているが・・・効果が出ない」と講師がなげいていた、 てっきり ”アドバルーンを上げる” という比喩だと思っていた。
    ところが、比喩 ではなく本当にアドバルーンを上げた話をしていたのである。
    アドバルーンを上げて安全が確保されるのであればこんな易しい話はない。
    ビデオを見せられたときにも、その内容の無さに感心した次第である。

    講習の内容を
     事故の科学的な検証
      (スピードの出しすぎ、ハンドル操作の誤りは聞き飽きた)
      をもとに
     論理的な組立てと
     教育学的検討をふまえて
    真剣に吟味する必要がある。

     さもなければ、講習会への出席は単なる 罰として、あるいは安全協会の収入源(猪瀬直樹氏の週刊文春での批判)としての講習会としか理解できない。

    内容が軽薄な講習会に時間と費用を費やすくらいであれば、テストを実施するほうがよほど意味があると思う。 テストと言うと拒否反応がありそうであるが、落とすためのテストでなく、知らないことを知るためのテストを実施するのである。 運転免許を取得してから法規の復習をした人がどれだけいるであろうか?

    このテストは
     記憶から消え去った法規の存在を再び思い出させるため
     新たに制定された規則を知る機会として
     昔は教えなかったこと(雨天点灯推奨など)を知ってもらう機会
     寝ているわけにはゆかないので、実効があがる
    など良い点がある。 講習やビデオとの上手な組み合わせも可能であろう。

    いずれにせよ、本気で交通事故を減らす努力の一環としての講習会であることが受講者にビシビシ伝わってくるような催しにしなければいけない。
08月28日
  • 大型トラックの速度表示
     皆さんはご存知だろうか? 大型トラックの運転席の上には3個の緑色のランプが必ず付いている。 速度によって1灯、2灯、3灯と順に点灯して行く。たしか50Km/hの速度になると3灯全てが点灯するのだったと思う。 詳しいことはどこかを調べればわかることである。 それはあまり重要なことではない。

     この速度表示灯は1960年代であったと思う、一国会議員の思いつきで法制化されたと記憶している。 当時自動車電装機器の会社の株価が急上昇したことも記憶している。 点灯表示で速度違反が判ったとて何の手立てもできないことである、それでもよしとして法制化したのだ。 結局何の役にも立たないまま40年近くが経ち、今ではあの3つの緑色の灯火が何であるかを知る人も少ない。

     世界にもまれな、こんなバカな明りをつけて現在でも大型トラックは走っているのである。 日本の行政が本気で交通事故を減らそうとおもうならば論理のある対策を講じることが必要であって、このように無意味なこと 精神論からは脱却しなければならない。
08月28日
  • 再びチャイルドシート
     チャイルドシートの価格ははかなり高価に感じる。 若い夫婦にとってこの負担は少なくないであろう。 そのうえ取りつけ方法を誤るとかえって危険と聞く。
    25年ほどまえにドイツでうちの子供達が使っていたチャイルドシートは多くの車の大人用シートベルトのバックルと共通であった。 大人用の2点式ベルトに継ぎ足して使用できるようになっていたのである。

    25年前のチャイルドシート 戻るボタンで戻ってきてください

     大人用のシートベルトを子供が使えるようにする付属具の開発と言うことは考えられていないのであろうか? うちの子供達は使わなかったが、幼稚園児くらいから小学校中学年程度までの子供が使うテーブル状の防具がドイツにはあった。 内部は発泡材で出来ている。 25年前のことでカタログも見つからないが。 これは大人のシートベルトの腹部に当てて使うようになっていた。 事故の時、体が小さい子供は肩のベルトはすりぬけてしまうであろうが、腹部を大きな面積で支えてくれる。 そして肩のベルトに効果がなくとも子供の頭部は前に倒れて、このテーブル状の部分に当たるだけ。 完璧な効果は期待できないまでも、車体やガラスに突っ込むことはない、車外に放り出されることもない。 とすれば相当な効果が期待できる、そして安価である。

    付け加えて、私達は使わなかったが、座れない乳児のための安全バスケットが当時すでに存在していた。事故の衝撃で乳児が放り出されるのを防ぐようにできていた。 これも大人用の安全ベルトのバックルに継ぎ足して使えるようにできていた。

    物事を考えるときに汎用性、使うときと使わないときの利便性をも考慮に入れなければならないと考える、チャイルドシートを取り付けたらば、その場所に大人が座るときにシートベルトが使えないような取り付け方法ではいけない。 子供が使うときには即チャイルドシートを取りつけられ、大人が座るときにはチャイルドシートを外せば即大人用安全ベルトが使用可能になるような設計にしなければいけない。 取り付け方がどうの、と言わなければいけないような設計は当初から間違っている。

    ついでに、ドイツでは子供(年齢制限は忘れたが)を前部座席に座らせてはいけないことになっている。 子供を抱いて運転する などもってのほかである。
08月14日
  • ハインリッヒの法則
    というのがある。 アメリカの保険業界で産業事故の統計を分析したところ、330件の事故のうち300件は軽微な損害、29件は軽い人身事故、そして1件は重大事故であったという。 『1、30、300の法則』とも言われている。
     ひとつの大事故の背後には30件の軽事故があり、その背後には300件の軽い事故とはならないようなミスがひそんでいるということだ。

    我々の多くは事故にならないようなミスを犯しただけで済んできているに過ぎない。 この点で「ヒャッとしたあの瞬間を忘れるな」という標語は的を得ている。 1件の重大事故に至らないためには、300件のうちに入るような小さなミスを犯さないように常に思考を中断しないようにすることが大切だと考える。

    決して『私は事故を起こしません』などと傲慢なことを言わない事、『常に事故を起こす可能性がある』ことを念頭にその可能性を低く保つ努力が大切。

    『私は安全運転をしています』などというステッカーを貼っている車を見かけるが、安全運転は結果で示すもの、ステッカーなど何の意味もない、貼っている者、あるいは貼らせている管理者の見識が疑われるだけである。
07月14日
  • 東京新聞 2000年7月13日 朝刊神奈川版 のニュース記事より


「忙しいからって薄情です」目撃者が見て見ぬふり
横羽線で死亡事故 県警が情報提供呼びかけ

早朝の事故を目撃したはずの運転手らは、見て見ぬふりで、走り去った−−。十二日午前七時二十分ごろ、横浜市神奈川区神奈川2、首都高速横羽線の上り線で、同市西区楠町八、会社員横井央到(ひさゆき)さんの25のオートバイが転倒しているのを、後続車両の男性が見つけ、110番した。横井さんは頭の骨を折って問もなく死亡した。県警高速隊で事故原因を調べているが、事故の直接の目撃者は現れておらず、通報者の男性も「私の前に、数台の車が倒れている人をよけて追い越していった」と話している。このため、自過失の転倒事故か、ほかの車によるひき逃げ事件なのかも判断できないまま。同隊では「忙しいからって薄情すぎませんか。目撃した方は、ぜひ情報を」と呼び掛けている。横井さんは走行車線に倒れており、約三百メートル先にオートバイが転倒していた「事故当時は通勤ラッシュの時間帯とはいえ、車両は時速70〜80キロで流れていたとみられる。同隊では、十三日の同時刻に事故現場を通る車両をチェックし、目撃者を捜す予定。しかし、現場は首都高三ツ沢線との合流地点の後にあるため、「各方面から車が来ているので、すぐ見つかるか……。なるべく早く事故前後の車両を特定したい」としている。



−−以下 この記事を読んで−−

 他人が困っていても知らんふりが多いと思っていたが、言語道断。 そこまでは誰でもそう思うので、別の視点で。

上記記事 時速70〜80Kmのところを強調して記した。 この付近の制限速度は確か50Km/hだったと記憶している、いずれにせよ決して70Km/hとか80Km/hの速度制限ではない。(機会を見つけて確認の上、本稿を修正します) 

「通勤ラッシュの時間帯とはいえ・・・」ということは ラッシュでない時間帯であればもっと速度が速い という現実を県警高速隊は知っている ということである。 「流れていたとみられる」ということはほぼ100パーセントの通過車両が速度制限を越えて走行していたことになる。 私の経験でもこれは事実であろう。 そして新聞もそれを記事としていてなんら不思議に感じない現実。

 問題は速度制限と現実(平均的運転者が良かれと感じる速度)とに乖離があることである。 大多数の善意の運転者が法的には違反をしている現状。 「悪貨は良貨を駆逐する」のたとえのごとく、「不適切な規制は遵法精神を駆逐す」のである。

 現場の警察官はその現状を知っている。 しかし「とても我々末端から制限速度を上げろなどと言える空気ではない」 とは講習会で雑談した白バイ隊員の言葉であった。 現場、末端からの情報、意見を聞くことなく現実と乖離したままでいては良くなるものも良くなる機会を失う。

2000年 7月4日
  • 暖機運転・アイドリング
    『アイドリングストップ』のシールを貼った車を結構見かける。 特に営業車に多いように感じる。 しかし、それを実行している姿はついぞ見たことがない。

 不必要に燃料を使い、騒音を出し、排気ガスを出す。 ちょっと頭を使うだけで実行が可能なアイドリングストップなぜ実行できないのであろう。 ヨーロッパで20年以上前から当然のことになっているのに。
 1970年代すでに、長い信号待ち、踏切りの列車通過待ちなどエンジンを切るのが当たり前であった。 暖機運転などは非常識もはなはだしい行為と言われていた。

 ADAC(JAF相当)も暖機運転の無駄と暖機せずにスタートする方法を啓蒙していた。
 真冬の暖機運転は窓に息が着氷するのを防ぐに必要な範囲で容認されていた。窓の雪かきや霜取りなどをしている間に着氷は取れてくる、それから出発すればよいのである。 必要なものにまで目くじらを立てることはない。

 ついでに、後部窓や側面の窓に雪が積もったままの走行は禁止されていた。 反則金の対象であった。 エンジンが傷む、セルモーターの寿命が短くなるなどの反論があるが、すでに長年にわたって実行しているヨーロッパの実情を知れば何の心配もいらないことは明瞭である。 ヨーロッパでも日本車は優秀なのだから。

 必要のないエンジンの運転は慎むべきである。 私は以前から信号待ちであってもエンジンを切ることを実行している。 2台前の車が動くときに起動すれば全く遅れなく普通に発進できる。

2000年 7月3日
  • 2000年7月1日 東京新聞特報欄 『話題の発掘』の記事より


停止までの制動距離長く、コーナリング性能も低い
スタッドレスタイヤ 夏場は危険?
4月以降の北海道死亡交通事故 4割を占める

 夏場に、冬用タイヤをそのまま使って車を走行させると、交通事故に遭いやすいという調査結果が、このほど明らかになった。タイヤメーカーは因果関係を疑問視しているが、警察ではドライバーに注意を呼び掛けている。

 この調査は、北海道警交通総合対策センターが今年四月一日から六月十二日までに、北海道内で発生した死亡交通事故を分析した。このうち、事故となった原因の割合が高い「第一当事者」がスタツドレスタイヤを着装していたのは四四・四%、三十六件で、昨年同期闇の三〇・四%を大きく上回った。

 道警交通部の実験では、スタツドレスタイヤは夏道での制動距離が夏タイヤに比べ、乾燥路面で約一割、湿った路面では一から三割ほど長くなる。半径十メートルの円を旋回できる限界速度も、夏タイヤが時速三十五キロなのに対して、スタッドレスタイヤは二十六キロと、速度を落とさなければ曲がれないことが分かっている。最近のスタッドレスタイヤは、ゴムが軟らかで摩耗しやすいため、そのまま、はきつぶして、タイヤ交換の費用を節約しようという運転手が増えているという。

 スタッドレスタイヤで夏道を走るのは法的に間題はないが、「制動距離が夏タイヤよりも長く、コーナリング性能も低い」として、同センターは車間距離を取るなどの注意をドライバーに呼び掛けている。これについて、日本自動車タイヤ協会では「スタツドレスタイヤが事故の要因になっていたかどうかは、はっきりとは分からない。一般的にはタイヤのコンセプトからして、冬用のスタツドレスタイヤは溝の深さや溝の形からして夏用には劣るが、夏場でも制動面、旋回などの性能は十分」としながらも、「夏場は夏用のタイヤを、冬には冬用のタイヤを使ってもらうのが性能面からも経済性からもべ夕ーです」(加藤敏雄技術部長)と話している。

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引用終わり



---ここから私の意見---

『「第一当事者」がスタツドレスタイヤを着装していたのは四四・四%』ということである。 この数値『44.4%』は確かに大きい、ほぼ半数である。 この記事を書いた記者はこれ以上の疑問は覚えなかったのであろうか? この記事を見て私は気になった、事故を起こさなかった車両も含めて北海道を走っている車の何%がこの期間にスタッドレスタイヤで走行していたのかという統計が見当たらない。 もし、全体の44.4%の車がスタッドレスタイヤで走行していたとすればこの発表値は何の意味もないのである。 有意な差が認められるとして理解を得るにはそれなりの根拠が必要である。

 誤解しないで頂きたい、道警がスタッドレスタイヤの摩擦係数が通常タイヤのそれよりも低いことに警鐘をならすことに私が疑問を抱いているわけではない。 望むらくは、各社の通常タイヤの品質によるばらつきよりもスタッドレスタイヤの乾燥路面での性能が明確に落ちていることを示すべきであった。

 電光掲示で『2輪車事故激増 注意』というのを頻繁に見かける。 まず、このような掲示が事故防止に効果があるとは思えない。 『見られるための雨天点灯』の方がよほど実効があるであろう。
本題に戻って、『事故激増』というがこれはまたまた 狼少年 ではないかと思ってしまう。 事故激増(激増というからには相当な割合での増加なのであろう)がそもそもまやかし、で単なる脅し効果をねらっただけなのではないか? そうだとすればこれは完全な間違いである。行政を司る者がとるべき方法ではない。 本当に必要な情報にも国民に疑念を抱かせるだけである。 2輪車の総数が2割増加して、事故数も2割増加したのならば、何の不思議もない。

 事故の原因でまず挙げられるのが『スピードの出しすぎ』である。 事故発生時の違反内容で一番多いのが 速度違反 だそうである。 その道路で100%の車が速度違反で走行している道路で事故が起きれば当然事故車両も速度違反をしていたのである。 それだから事故になったと言いきってよいのであろうか?  車を運転する方ならば、100パーセントの車が速度違反で走っている道路を列挙できるであろう。80パーセントならばほとんど全ての道路がそれにあてはまる。 事故の原因を単純に『スピードの出しすぎ』で片付けてよいものであろうか? そのような対処の仕方が事故を減らす努力に水をさしているというべきであろう。

 単純に2輪車が増加したから、その割合で事故が増加してもいたしかたないという種類のものではないことは理解している。 しかし、本当に交通事故を激減したいと行政が思っているならば、 より論理的な思考がなければいけない。 マスコミもこのような表現に簡単に踊らされることなく、もっと本質を突いてほしいものである。

2000年6月16日
  • ブレーキング
    「スリップ注意!」 という注意標識を見かける。 さて、どのような状況でスリップが起きるのであろうか、スリップが起きるとどのようになるのであろうか?
    経験してみないことには判らない。 まして、スリップし始めたらばどのように対処すればよいのか・・ に至ってはスリップの物理現象を理解して、経験をして、さらに練習を積んで初めて対処ができるというものである。 私も本格的に車が滑り出したときに対処できるかはなはだ自信がない。 たしかに速度を抑えていればスリップしない、でもスリップしたときの対処法が判っている方が良いに決まっている。 自動車学校でも『逆ハンドルをきりなさい』と口で教えるだけである。
    予め経験を積んでおけば、事が起こった場合慌てなくてすむ。しかし、練習をする可能性がない・場所がない。 一旦自動車教習所を卒業した後、運転の練習をする人がどれだけ居るであろう。
    単純にブレーキを掛けるということだけでも練習をしておくと違う。 本当の急ブレーキはそう滅多に使うものではない。 チャンスを見つけて練習をしておくとより確実なブレーキングができるようになる。 そして、止まれる距離の見当がつくようになる。

    私は自動2輪車にも乗る。 こちらは4輪車よりもさらに普段の練習がモノをいうと感じる。 ブレーキングの練習は欠かせない。単に短く止まるためだけでなく、2輪車の場合には安定して止まる必要があるから。 後輪が滑るとどのような挙動が出るのかなど安全な状況で経験しておくことは非常に役に立つ。

    免許を取って何年しても、練習は必要だと思う。
    公共の練習場所があると良いのだが。
    私が知っているのはオーストリアにはOAMTC(JAF相当)経営の練習場があった。 入場は保険料を払うだけであった。
2000年06月12日
  • チャイルドシート
    最近チャイルドシートの義務化に伴いいろいろ言われている。 私はチャイルドシートの導入には賛成である。 それは当然と言ってもよいほどのことと思う。 しかし、その前に少し考えなければならないことがある。

     子供を抱いて運転している人
     子供を前部座席に乗車させて大人用のベルトもさせずに、自由に動き
     回らせている人
     犬を助手席に乗せている人、犬を抱いて運転している人

    などを頻繁に見かける。 このようなことができる思考の人々への啓蒙が今まであったであろうか? チャイルドシート義務化は良いことであるが、それでよしとしてしまうのであれば、問題である。
     最近はチャイルドシートを使っている若い夫婦を頻繁に見かけるようになった。 しかし、チャイルドシートの横にいる母親の大半は安全ベルトを装着していない。 おとなは大丈夫と思っているのかもしれない。 本当の急ブレーキの時には大人でも耐えきれないことを、ましてや衝突時にはなす術がないことを啓蒙するべきである。

     うちの子供たちが誕生したのは1970年代であった。 ドイツにいた当時である。 子供が座れるようになってから、車に乗せるときは必ずチャイルドシート(Kindersitz)を使っていた。 帰国してすぐの時に母の車に乗った子供たちは眠たいのに結局全く眠らなかった。 子供用の椅子がなかったので落ち着けなかったのである。 子供は理屈でなく経験でその安心感を体得していたのであろう。 25年前のチャイルドシート 戻るボタンで戻ってきてください
2000年6月14日
  • シルバーシート
    これは、本ページの本題とは別の問題であるが、以前から気になっていることである。 『老人、体の不自由な人に席をお譲りください』ということでシルバーシートが設けられて久しい。 
       『シルバーシートでなければ、老人や体が不自由な人が目の前にいても席を譲らなくてもよい』と言っているようなものではないか。 事実この制度ができてからは一般席で席を譲る人が滅法少なくなったように感じる。
     本質を見据えないで『じゃーシルバーシートを作りましょう』、という姿勢、
    交通行政においても同じようなことが感じられる。 黄色信号で通り抜ける車が多くて危ない、
       『じゃー、両方の信号を同時に赤にしてから緑に切り替えましょう』
    結果は、だれも黄色信号では危険があるとは思わなくなる、 黄色なら加速して通り抜けよう、赤になってもまだ大丈夫 ということになってしまった。
     その結果、黄色でブレーキを踏むのは追突されるからやめようという一般常識を作ってしまったのだ。

    ついでに、もう20年以上前だったと思うが、モデルガンの規制が厳しくなったことを覚えておいでであろうか。 このとき以来モデルガンの銃身は黄色にしなければならなくなった。 いまだに本物のピストルの銃身を黄色にして堂々とピストルを携帯して強盗に入る輩が現れないのは不思議に思う。


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