標語、そして「カーブ多し速度落とせ」「2輪車死亡事故多発」「ベルト締めたか」「命落とすなスピード落とせ」 などなど巷にまさに氾濫する看板・垂れ幕の類。 これで事故が減るならたやすいこと。 標語を見てスピードを落とす人がいるわけがない。 言われてもスピードを出す輩が問題なのだ。
東日本大震災後、このような表示を到る所で見かける。
視界が不十分であれば注意するのが当然。 道路に照明がなくても良いように前照灯がある。運転者を甘やかすだけの無意味な表示である。
夜は暗いのが当たり前、田舎へ行けば道路照明は無いが 「田舎です照明がありません、走行注意」 なんてどこにも書いていない。
こういうステッカーも結構頻繁に見かける。
「私は法定速度を守り安全運転します。」 この裏には
「(安全運転をしないあなたは、法定速度を守らないのでしょうから)お先にどうぞ!!」というのが国語の正しい解釈であろう。
こんなことをトラックの後に書いて走ることに何の意味があるであろう。
安全運転とは何かを常に 観察し・考察し、その結果を自分の運転に反映することが大切なのではないか。
いったい何の役にたつというのであろうか? こんな標語を掲出するより、論理を説明して納得させることに費用を使い努力をするべきである。 ドイツに居た頃、一時期重点的に歩行者の信号無視を戒めるポスターが貼られた。 |
『事故は瞬間、ベルトは習慣』 "瞬間" と "習慣" で韻を踏んでいるところがみそなのであろう。 事故に至る原因、遠因はかならずある。瞬間とはゆめゆめ思うなかれ。 原因・遠因を見とおす不断の観察と考察
そして、それを避ける努力が必要である。 後部中央座席に着席している乗客は、おそらく30Km/hからの急ブレーキで、自力で体を支えきれないであろう。 前部座席の間を前面ガラスにまで突進する可能性大である。 タクシー後部座席でのシートベルトの使用を促進しよう。 |
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最近良く見かける。 実際にアイドリングを止めている様子は全く見かけない。 組合でステッカーを貼って、あたかも環境意識が高いかのようにに装っているが実際は・・ スェーデンでは1分以上のアイドリングは違反である。 ドイツでは40年前にすでに暖機運転は非常識な行為であった。 |
ある会社の車でいつも見かける。 |
このタクシーの後部座席のベルトは使える状態にはなっていなかった。 『掛け声だけ』に過ぎない好例であろう。 |
これは、空港から街への高速リムジンバス。 『掛け声』としてはたしかにそうだが、現実はどうであろう。 このバスでもシートベルトの使用を促すアナウンスは無かった。 座席のシートベルトは(全てを見たわけではないが)一部は使用可能な状態であったが一部は座席の下に落ちたままであった。 本当にシートベルトの装着が事故時の安全につながると理解しているのであれば、それなりの実行が伴わなければいけない。 そして、高速道路に限らず全ての道路でシートベルトを使用するように促すべきだ。 |
宮崎県庁のそばの交差点で見かけた。 何の意味があるのであろうか? 何の変哲もない交差点、何を訴えているのかもはなはだ不明瞭。 訴えるからにはきちんとした表現が必要。 要点を一つだけでも明瞭に取り上げて訴えるのであればまだ啓蒙する意義もあろう。 単なる無駄遣い、景観を汚す、そして全てのことに鈍感な人々を作り出すことに寄与するのみなのだ。 |
この画像は 狼少年はいけない のページにも使っている。 パトロールカーの姿を見せて事故が減るのであれば誠に楽なことである。 パトロールカーの姿を見て運転を正す運転者は『取り締まられなければ何でもあり』の運転者であろう。 本質的な安全教育や啓蒙にはなりえない。 |
クラッシックカーを連ねてパレードをする・・・掛け声をかけるだけで、なぜ違法駐車が減るのであろう? 違反と知りながら、駐車しなければならない理由があるということも確かにあるであろう(法学的には間違っているが)、『横断者や運転者の視界を妨げないか』 『右左折車の邪魔にならないか』 『すれ違いに障害になりにくいか』などを、運転者が自発的思慮のある短時間の駐車をするようになる状況を作り出さなければいけない。 |