あきれること
これから満載になりそう


気付くことは多いが、滅多に画像は撮れない。

信号の無い 横断歩道

「歩行者が横断し、または横断しようとしているとき、車は停止して横断を妨げてはいけない」ことになっています。  しかし、町中でそのような光景を目にすることは極々まれです。

◎ ドイツでの経験
横断歩道のところで立話しをしている人が居る、横断するそぶりを見せなくても車が停まってしまうことがある。
横断しようとすれば、確実に車は停まってくれる。

◎ 日本の現実は
 横断歩道の近くの歩道で車が途切れるのを待っている歩行者が居るので、私が停止すると、歩行者は丁寧におじぎをして感謝の意を表して渡って行くのが常です。 感謝の気持ちを表すのは決して悪いことではありませんが、本来は必要もないことです。
 私が停止しても、「何が起きたのかな?」と怪訝そうにして、すぐには渡り始めない歩行者も多いのです。

 これほど基本的で重要でありながら、守られていない法規、そして取り締まられていない法規は他にあるでしょうか?
取り締まりはしにくいからしないのでしょうか? 制限速度は最も根拠が希薄な規制でしょう。 時速10Km超過したら即危険が大きくなるというものではありません。 その時の状況・交通環境・車両性能・運転技量によるところが大きいことは誰にでも判ることです。でも取り締まる。
横断歩行者を保護しないことは直ちに危険を招く行為です。しかし取り締まりは事実上無い。

◎ 私の経験
私が歩行者保護のために停止して、後続車に警笛を鳴らされたこともしばしばです。
停止している私が追越されたことも数え切れないほどあります。
私が停止して対向車に知らせるために前照灯を点滅させても停まる車は稀です。
私が停まったにもかかわらず、歩行者がさらに注意をしていてくれたから事なきを得たのです。
私が「急ブレーキを踏んだ」と文句を言われたこともあります。 横断歩行者が待っているのに、停止するつもりがない運転手(私が前を走っているのだから、私より手前で横断歩行者を認めているのは道理)には私が急ブレーキを踏んだように感じられるのでしょう。
私が停止したおかげで歩行者が事故に遭うなどということがあっては、つらいことになります。
でも、私は停止するべきだと思っています。

先日2009年7月26日 私は信号の無い横断歩道で横断歩行者に道を譲るために停止しました、丁度来た対向車も停止しました。歩行者は横断しようとしました。 その時、私の後ろから来たタクシーは道路の右に出て私を追越して行ったのです。 なんと無謀な! 歩行者が注意して横断していたから事なきを得たのです。 歩行者は走って渡ってもなんら責められることは無いはずです。
これは、過去最悪の例でした、本当に歩行者が注意しながら渡ってくれて良かったのです。
おそらくヨーロッパの人だったら、当たり前に渡ってこのタクシーにはねられていたことでしょう。

◎オーストラリアに居住する友人からの報告
 「当地では横断歩道の手前に稲妻型の予告サインがあり、横断歩道の部分は白と黒に塗り分けられています。
ここに人が入ったら車は止まらなければなりません。
これに違反すると、ものすごい罰金が科せられます。(僕はまだ犯した事が無いので幾らかは知りません)。
で、人は全く安心しきって左右も見ずにこの部分を渡って行きます。」



  これで横断歩道の意味もあるということでしょう。
現状がいかにひどいかを良く考えて頂きたいと思います。

2016年10月30日追加
JAFニュースでようやく取り上げている  http://www.jaf.or.jp/profile/news/file/2016_35.htm
統計を取るまでもなくとうの昔から判っていたはず。 本気ならつまらない取締りばかりして、このような本質的問題を解決しようとしない警察を批判する組織にならなければいけない。

「お互い気持ち良く走るための豆知識で安全運転」「横断歩道と哲学と私」も是非ご覧下さい。 良識と考察に長けた内容には大いにうなずけるものです。

ナンバープレート隠し
「私は法律違反をします」
と公言して走っているようなものだが、恥はないのであろうか? このような行為は直接他人を危険に陥れることではないが、このような行為をして平然としていられる人間は事故を起こしやすい人格であろう。 あきれたものである。

 この例はナンバープレートの数字の色を磨き落としている。なぜか市名だけは残している。

咎められても「ナンバープレートを大切にするあまり磨きすぎた」とでも言い訳するのであろうか

このようにスプレーを吹き付けて着色しコントラストを落としている。街中で頻繁に見かける。なぜか青が多い。 たまに黒い吹き付けも見かける。
青は、赤外線撮影時に写りにくいのであろうか。

例、極端に下向きに取り付けたり、飾り枠を付けて読み取りづらくしている例、 など30分も道路を走れば複数台見かける。 法律は一体どうなっているのであろう。


このような車の運転者は

 これらの画像ではナンバープレートに着色したカバーをかけている。 コントラストを落として視認性を低くしようとする意図であろう。

色が濃いもの薄いもの実に多様な市販品があるようである。

赤外線吸収性のあるカバーもあるようである。
自動速度探知レーダーのカメラが赤外線撮影をしているようなので、それから逃れるためなのであろう。

 表向きは「スタイリッシュな ・ ・ 」とかの謳い文句で販売されているようである。

あまりに多いので以降は画像採取をやめる、これにて終了。

街中でしょっちゅう見かける。
2輪車のナンバープレートを水平に近く取り付けて読み取りにくくしている。

実はナンバープレートをこのように取り付ける金具が販売されている。 その商品には「レース走行時には水平にして抵抗を減らしてください、道路を走る時には元の位置に戻してください」と説明書きが付いている。
あまりにも馬鹿げている。


軽率な運転

こんなことが平然と行われ、咎められないのが現状とは ・ ・ ・



犬を抱いて運転

最近子供を抱いて運転する姿は殆ど見かけなくなった。チャイルドシート義務化の副産物的効果であろう。

この画像、犬を抱いて運転していた、丁度信号待ちで停止した時に犬が明瞭に見える状態になったので撮影。

軽率としか言い様が無い。

これも犬を抱いて運転

運転席からなぜ犬が顔を出すのだろう、抱いているから。

平気で助手席に子供

今もって良く見かける光景。 自分の子供であろう。よく平気でこのようなことができるものだ。 チャイルドシートが義務化されてから久しい。義務で無くても少しでも思慮のある大人であればこのようなことは到底許せないことであろう。
 動体が急停止する時にどのような力が働くか(ニュートンの慣性の法則)啓蒙を必要とするところである。単に「安全のためにシーとベルトをしましょう」という呼びかけだけではいけない。
 理解力のある人はとうにその必要性を認識している、理解力のない人に判ってもらうにはどうするかを行政側は考えなければいけないのだが ・ ・ ・ 。

 子供を抱いて運転している姿も今もって、時々見かける。 あまりにも軽率な行為である。

信号待ちで気付いた画像。







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